F君の思い出

押し入れを整理していたところ、F君の奥様から私が送った香典に対する御礼の手紙を見つけた。F君の最後の日の様子が綴られていた。

平成14年7月小、中学校で同級だったF君が62歳で亡くなった。
私はその前年帰省の折、同級だったKさんにF君がどうしているか聞た所、KさんがF君に電話をして、私が帰省の折伺いたいと言っていたと伝えておいてくれた。

それでF君は昔のままの家で私の行くのを待っていてくれた。中学を卒業して以来47年ぶりの再会であった。
彼はその時すでに糖尿病で足の指を全て切断し、両足を包帯で巻いていた。私は身近に指を切断した人を見た経験がなかったので驚いたが、彼にとっては日常で有り悲壮感はなかった。他にも病気に罹っており、人工透析を始めて3年位になるとのことであった。同級だったHさんが人工透析を初めて30年以上になって、リストでは石川県では最も長いようだと話していた。

商業高校を卒業してから、大阪の繊維関係の会社に入りずいぶん苦労した事をなつかしく思い出しながら話してくれた。戦後の復興が終わった頃に就職したので、馬車馬の様に働いていた時代だったなと自分の事と重ね合わせて話を聞いていた。久しぶりに話す相手を見つけて本当に楽しそうに話していた。

彼とは、小学校も同じであったが、中学校の3年間が同じクラスで、同じ野球部だったので中学時代の思い出が多かった。
私の中学校は私が1年の時県大会に行ったが、その後は郡の予選を突破できなかった。彼は野球部では三塁を守り、クリーンアップの打者で中心的な選手だった。

あるとき、金剣宮の近くの踏切付近の線路脇で、F、Na、Knと私で立ち話をして居たところ、田んぼ5枚くらい離れた国道を自転車を引いて歩いていたおばあさんが大声で「危ないから早く離れて!」と叫んでいたのを彼も覚えていて「金剣さんの近くにいたとき、阿部のばあばがわめいていた事もあったな」と話しているのを聞いて、あんな事がお互いの思い出になっているのだなと思ったものだった。

奥様の手紙には、私が帰った後「懐かしかった」と何度も繰り返し言っていたことが書かれていたのを見て、目頭が熱くなってきた。

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