記憶の中の製品

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軟水器
10月に定年を迎える年の6月に、社長から水戸市の料理店へ呼び出された。何のことかと出かけたところ、先輩と地元商社の社長が来ておられ8月から軟水器を売れとのことだった。ついては定年後その商社へ入り事業部を作り事業部長になれとのことだった。
軟水器を家庭の給水器として販売するには給水装置工事主任技術者の資格を取っておく必要があるとの話があり、あわてて勉強を始め、10月に受験し資格を取った。
8月には社内各部門から私の下へ1名人を出してもらい、販売を開始した。装置は家庭の風呂の給水口に接続し、軟水器を通して風呂への給水や、シャワーの給水を軟水にする装置である。イオン交換樹脂は繰り返し使用するため専用の塩を補充するが、1か月6千円かかる。装置の価格もさることながら、塩の値段も高いため、さっぱり売れなかった。

そこで社長から、自分たちで塩の安い軟水器を作れとの指令が出た。急きょ販売要員に集められた3人で手さぐり状態でスタートした。
それから、イオン交換樹脂、軟水化、再生などの原理の勉強、塩水の作り方などの勉強を始めた。塩水については、水量と塩水濃度などの実験を繰り返した。いろいろ調べていくうちにイオン交換樹脂の容器等は既製品があることがわかり、取り寄せて実験を始めた。
設計経験のある私が図面を作成し、現場経験のあるものが部品をホースで接続しできるだけコンパクトにまとめ、それを収納する外函のサイズを決めた。それを図面化し、製缶業者を探した。ようやく試作品が形になり社長の前で披露した。約1年経過していた。社長は待ちかねたように、まだ製品化には改良が必要な段階であったが、売ることを急いだ。sy帳に自宅容など数台を制作した。 

その後、改良し、給水回路、再生回路を合理的に配置したバルブセットの設計を完成し、樹脂メーカーに制御回路の設計付きで製作依頼し完成形になった。その後できる軟水の成分検査を繰り返し、県の衛生試験所に足を運んだ。水質の確認ができたが、一般に販売するには、水道局の許可が必要だった。まず、日立市、水戸市、ひたちなか市など地元の大きな町の水道局へお願いに伺った。しかし、水道局は給水装置としての認定品でないと許可できないとの見解で大きな壁に当たった。
日本水道協会は、軟水器は認めてくれなかった。途方に暮れたが、いろいろ調査するうちに第三者認証機関が見つかり、申請、立会いを受けてようやく製品化できた。
ソレノイド
1997年頃私は配電盤製造部を担当していたが、依然設計経験があるということで、半導体製造装置の部品である基盤加工装置用のソレノイドを作れとの指示を受けた。
当時、半導体の生産がピークになり、製造装置の生産が間に合わない、中でもソレノイドの製作を依頼している外注工場の生産が能力不足なので、当社で製作できないか検討せよとのことだった。新製品開発の足掛かりをつかんできたとのことだった。

エナメル被覆した銅条(薄い平銅)を所定の寸法に巻き外側を樹脂モールドしたものであるが、寸法制限が厳しく、設計製作とも苦労した。
巻線から発生する熱を、水冷した銅板で取って逃がすものであるが、この設計、製作が大変だった。樹脂モールドの厚さが少なく割れる心配があり、少しでも厚くしたいので、巻線の出来上がりが小さくなるように管理することが肝要であった。懐かしい製品である。
電気炉