北の都

     
     北の都に秋たけて
     吾等二十の夢数う(かぞう)
     男女(おとこおみな)の棲む國に
     二八に帰る術(すべ)もなし

     二
     その術なきを謎ならで
     盃捨てて嘆かんや
     酔へる心の吾若し
     吾永久(とこしえ)に緑なる

        (作詞:駒井重次  作曲:金原裕之助)


(写真をクリックすると大きいサイズで見ることが出来ます。)
 「北の都」は旧制金沢四高 時習寮南寮の寮歌である。私がこの歌を覚えたのは、中学3年の卒業間近の頃、工作の石野巌先生が、突然 君たちに教えておきたいと言って教室で突然歌い出したことによる。何故かしら記憶に残っている。歌はもっと続くが覚えているのはここまでである。今はYou-Tubeで聞くことが出来る。

四高(しこう)は金沢人の心の誇りである。私の中学時代には金沢大学に変わってしまっていた。
金沢繁華街香林坊から兼六園に向かって広坂を進むと、左に風情のあるレンガ造りの建物がある。これが旧四高の遺構である。現在は「石川近代文学館」「石川四高記念館」の看板が掛けられている。帰省した折立ち寄って見たことがある。文学館には泉鏡花、徳田秋声、室生犀星などの遺品が有り、四高記念館には 西田幾多郎や鈴木大拙の遺構が展示されていたと記憶している。

沿革:
1889年石川」高等専門学校を前進として、第4高等中学校」を設立
1894年第四高等学校に改称
1949年金沢大学に改称


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