令和元年11月9日、兄の3回忌に出席するため帰省した。北陸新幹線で金沢に着いた後、地元の友人が開いてくれたミニ同窓会の開始時間を待つ間、新しく出来た金沢建築館を見に行こうかとスマホの地図を見ていたら野町広小路の近くに室生犀星記念館が有ることが判った。そこで急遽行く先を「室生犀星記念館」に切り替えて訪ねた。 (写真 左:記念館近くの新橋から犀川上流方向、右:下流方向) |
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室生犀星記念館は平成14(2002)年金沢の犀川大橋の下流左岸の川沿いの道から通り一本入った千日町の生家跡に建てられた。犀川に掛かる新橋の近くで、付近には西の茶屋街が有る。犀星はこの近くの雨宝院という寺の養子として育てられた 記念館は古い町並みの中にある正面側ガラス張りの近代的な2階建のビルである。 室生犀星は金沢出身の望郷の詩人ということは知っていたが、詳細何も知らないことを気づかされた。 私でも知っている詩といえば、誰でも知っている「小景異情」と「寂しき春」である 。 |
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小景異情(その二) |
寂しき春 |
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ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの よしや うらぶれて異土の乞食(かたい)となるとても 帰るところにあるまじや ひとり都のゆふぐれに ふるさとおもひ涙ぐむ そのこころもて 遠きみやこにかへらばや 遠きみやこにかへらばや |
したたり止まぬ日のひかり うつうつまはる水ぐるま あをぞらに 越後の山も見ゆるぞ さびしいぞ 一日もの言はず 野にいでてあゆめば 菜種のはなは波をつくりて いまははや しんにさびしいぞ |
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犀星は明治、大正の詩人だと思っていたが昭和になって多くの小説を発表している。「杏っ子」は昭和31年に発表されており、何か身近に感じられた。 年表によれば明治22年(1889)生まれ、明治40年頃から詩を発表、大正8年(30歳)で小説を発表、昭和37年(1962)肺がんのため死去(62歳)。 展示品の文字が小さく私には読めないものが多かったが「犀星と金沢」他のビデオを鑑賞してきた。複雑な生い立ちや軽井沢、東京での生活を知ることが出来た 。 |