「日立をスケッチする会」作品展(2023)
私は2019年頃「日立をスケッチする会」に入会した。この会は岡村参次氏を代表とし現在16名の会員で構成している。コロナ禍等で会場が使えなかった時などを除き毎年1回作品展を開催している。この会では毎年テーマを決めてそのテーマに沿った水彩画を描いて居り、私が初めて出品した昨年は「鉱山を源流とした日立市の発展」というテーマであった。
今年は第17回で”絵と古写真による《日立のいま・むかし》”をテーマとして描いた市内58箇所、94点の作品を多賀市民プラザの1階ギャラリーで2023年4月6日~11日の間展示した。
私が出展した7点の作品を此処に紹介したい。(説明は写真について)
 一本杉通り
(写真は昭和初期撮影)
  一本杉通りはかって鉱石採掘場があったエリアである。
鉱山で働く者達が住む生活ゾーンでもあり、学校や病院などもあり、最盛期には一万人ほどの労働者家族が暮らしていた。
   
 旧助川停留所前大通り
(写真は昭和14年撮影)
市制施行された昭和14年頃の助川停車場通り。
看板を掲げた商店が多い事からも、駅前の賑わいが窺える。現在は、戦後造られた「平和通り」に」譲ったが駅前開発地区の一画であるため大きく変革している。 
   
 電鉄プラザ
(写真は昭和45年頃撮影)
 国道6号線常陸多賀駅入り口交差点付近。
多賀駅からここまでの間が多賀地区の商業の中心。現在は同所に川島クリニックがある
   
 泉が森神社
(撮影時期不明)
 坂上村水木郷社泉神社
坂上泉が森噴水蜜筑の里の大井として「常陸国風土記」に記されるほど古くから人々に知られていた泉が森である。「噴水」という表現がおかしくないほどの湧水量だったのだろう。
   
  久慈浜本通り(南方向を見る)
(写真は大正期)
 本町通りを浜坂より南方向を見た写真です。
久慈町では写真のように家の前に井戸があった」事が窺えます
   
 大みか駅前交差点
(写真は昭和50年撮影)
 大甕駅前にモータープールが整備される前の景色。
左が大甕駅。右は大甕駅前メインストリート。遠くに見える茅根病院辺りで大甕駅前通りと合流する。
   
 大甕神社本殿
(写真は昭和8年撮影)
 本殿は昭和8年に建て替えられている。
荒ぶる神「甕星香々背男」の荒魂を鎮た宿魂石の上に立てられている。祭神は甕星香々背男を服従させた武葉槌命。



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