K先生の思い出

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平成20年(2008)中学校3年当時のクラス会があって帰省した。恩師のK先生が出席してくださった。先生は君たちを担任した時は35歳だったとのことだったので、中学3年15歳の当時であるから20歳の年齢差が有ったことを知った。私はその時68歳だったので先生は88歳になられ、1年、2年の担任の先生はすでに鬼籍に入られたとのことで有った。
同窓会の場所は、先生のお宅のある在所で先生は徒歩でこられ、我々が宿のバスで着いたときにはすでに来ておられ出迎えて頂いた。座席はくじ引きで私は偶然先生の隣になった。その時先生は、歳をとってくると散歩の時口ずさむのは、「赤とんぼ」や「七つの子」など子供の頃の歌だとおっしゃって持参のハーモニカを吹いてくださった。私は今殆ど歌番組を見ないが、唯一「BS日本 心の歌」は毎週見て古謡や昭和の歌に感動している。先生の胸中に近づいてきたのかなと思うことがある。

そのクラス会で、私が全員の写真を個々に撮り、各人の写真にコメントを書き、A4サイズ2枚に編集して幹事に送った所先生に届けて頂き、先生から礼状を頂いた。その席で何を話したかは細かく覚えていないが、K先生の教え子で私の先輩が同じ日立におられると話した所、先輩のことを覚えておられた。教え子の記憶はしっかりされているなと感心した。

その2年後、小学校の同窓会が同じ場所で開かれ参加した。その時、中学校3年時の同級生からK先生のお宅へお伺いしようと提案され、私が奥様に交渉して訪問を許され、同窓会の途中席を抜け出してお宅へ伺った。先生は、その年の春、庭木の手入れをされていた時、梯子から落下して怪我をされ、ようやく回復したところとのことだったが、床から起きて接遇して頂いた。先の同窓会の写真を見ながら懐かしそうに思い出を話してくださった。同窓会を中座して行ったもので、短時間しか話は出来なかったが、これがお会いした最後となった。

初めてで最後の同窓会での写真を編集して送ったのが、よほど気に入られたのか、その後何通かお手紙を頂き、その都度写真のことが書かれていた。御長男やお孫さんに見せ昔の教え子について話されている様子が窺える暖かい手紙だった。90歳とは思えないしっかりrした筆跡でお会いしたときの懐かしかった事などが綴られていた。私にとっては形見となった。

先生はその後しばらくして鬼籍に入られた。庭木を手入れして居たときの事故のため寝込んだことで一挙に体力を消耗したものと拝察している。享年92歳とのことだった。その後帰省時にお宅を訪問し線香を上げさせて頂いた。奥様は元気で、私が送った写真を撮りだして、先生が写真を眺めては懐かしんでおられたことを話してくださった。


今となっては、K先生のみならずどの先生もすでに鬼籍に入られてしまい、お会いすることもかなわなくなってしまった。夢中で会社生活を送って来た付けだろうか。



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