眼鏡のこと
2021年9月9日に眼鏡を更新した。理由は自動車の免許更新の時期(81歳)が来て、高齢者講習では、視力0.7をクリヤしたものの免許更新の現場で確実に合格するか不安だったからである。

15年前に緑内障と診断されてから定期的に眼科へ通院しており、毎回視力検査はしている。3ヶ月位前に眼鏡を作り替えたいので処方箋を出して欲しいと要請したが、使用中の眼鏡のデータから余り進行していないので作り替えるのは勿体ないと言われていた。しかし、見えにくくなっているのは確かだと思い処方箋を作って貰い新調した。眼科の検査では片目ずつ視力検査をするので、両眼のバランスが微妙に崩れた時やはり見にくくなるのだろうと思った。勿論、免許更新は問題無く出来た。取り敢えず初期の目的は達成した。

私が初めて眼鏡を作ったのは、高校1年生の時だった。家には誰も眼鏡を掛けている人がいなかったので、眼鏡と作りたいと言い出すのに気後れした記憶がある。高校時代は掛けたり外したりしていた。アルバムを出して見たが、高校時代の写真は眼鏡無しのものが殆どであった。縁は上側だけ着色されたものだった。入社後は眼鏡を常用する様になった。

現在まで随分作ったと思うが、5年に1回作ったとしてこの62年に12個、サングラス2個、パソコン用近々グラス2個と多く見てせいぜい20個位のものだ。
(左の写真は、前から、新調品(遠方のみ)、近々用(読書とPC操作)、サングラス、今まで使用していたもの(遠近))
眼鏡のフレームは、父や祖父は「眼鏡のつる」と言っていた。それが「眼鏡の縁」「眼鏡フレーム」と時代と共に変わってきた。私の今までのフレームは上側が濃いセピア色、横から下側は細く透明か金色のもの又は全周細いものが多かったが、今回は全周太くセピアに少し鼈甲の様な黄色が交ざったものにした。理由は特になく、やって見たかっただけである。着けてみるとフレームのサイド部分が視野に入って来る程度で余り違いは無い。
フレームを換えたことで何か言われるかなと思っていたが、案外誰も気づかないのか、家族も他の人も何も言っては居ない。自分が気にするほど誰も私の眼鏡などに関心を持っていないと言うことだろう。

眼鏡に関係するトラブルは記憶しているもので3度ある。1度は社員寮に入っていたとき、就寝中枕元に眼鏡を置いていたところ同室者に踏まれて壊れた。2度目は、眼鏡を着けて海水浴して居たところ波をかぶってしまい眼鏡が流された。波をかぶったとき眼鏡がふわーっと浮いたので、慌てて手を伸ばしたがするりと逃げられてしまった。3度目はマチュピチュへの旅の途中ホテルで同室の相方のベッドの端に座ったとき、相方のサングラスを踏んづけて壊してしまったものである。3度目の時は、折角新調したサングラスを壊し、肝心の山行中に使えなくしてしまい申し訳ない事だった。保証期間中だったこともあり、弁償額は少なくて済んだ。

眼鏡フレームは福井県鯖江市が全国の96%を生産して居るとのこと。雪国の生活を守るため、大阪から職人を招いて福井市で始めたものが、1905年頃鯖江の町中で眼鏡フレームをパーツ毎に分業し眼鏡フレームの町となった。更に第2次世界大戦頃から需要が増加し、開発改良も加えられて来たとの事である。何はともあれ96%と言うのはとんでもない数字であると思う。

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