折 鶴
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母の折鶴
 私の母は95歳で天寿を全うしたが、70歳頃からは農業から手を引き家にこもっていた。同居していた兄がボケては大変と折鶴を折ることを教えた。毎日々折鶴を折っていたようで、私が車で帰省した折には大きな束を2~3個持ち帰らされた。金沢の高校が甲子園に出るときには応援団用に折鶴の束を渡したようである。広島の原爆記念碑に飾るためにも送ったとのことである。

兄の連鶴
 兄は何時の頃からか折り紙を覚えたようで、昭和40年代に小松製作所がブラジルに工場を建設した時には、派遣されていたサンパウロで、寿司屋などへ行った折にいろいろな折紙を折ってあげ喜ばれたとのことである。

 法事で帰省した時、兄が近所の北陸銀行松任支店のロビーで折鶴展を開いているとのことで見に行った。その時の目玉は2,000羽の連鶴であったが、平成26年には5,200羽の連鶴の展示会を開催していた。約畳1枚の大きさの紙から5,200羽の鶴を作ったとのこと。

 自分の兄のことながら、その努力に感心した。


  写真は5,200羽の連鶴で、左下はその一部を拡大したものである。