水郷 佐原

令和元年初日の5月1日、孫を柏へ送り届ける途中迂回して千葉県香取市佐原へ行った。
以前2度行ったことがあるところであるが、観光地らしく整備され、伊能忠敬記念館が完成し公開されていた。

 

佐原の町は中野川の両側に歴史的建造物や柳並木があり観光客で賑わっていた。
伊能忠敬の生家前の中野川にかかる樋橋(とよはし)は、昔は川の東側から西側の水田へ水を送る樋の役目を果たしていたとのことで、今は観光用に30分に1回放水をしている。

現在の地図と伊能地図 (朱線が伊能地図)

以前には生家の一部で実地測量に使った道具などが展示されていたが、記念館では、実際に使用された測量用具の他関係資料の展示品も多く、いろいろな古地図も展示されていた。
江戸時代末期(1821年)に制作された伊能地図は現在の地図と比べると、わずかにずれているところがあるが、
形状は殆ど同じといえる。驚異的であり江戸時代の地図の完成形である。

茨城県にも日本地図の先駆者がいた。高萩市出身の長久保赤水である。大日本史編纂にも関わった人で、各種資料調査により、伊能地図の約40年前の1779年に緯度(横線)、方角線(縦線)を入れた日本地図を作成している。郷土の偉人である。高萩市では冊子を発行し公式ホームページで紹介している。

最も古い日本地図は平安時代の僧「行基」が作ったとされるものであるが、当時の国の位置関係を示すのみである。
その時代は、現在ほどの精度は不要で、それで用が足りていたと言うことであろう。


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