三陸の旅

 昭和36年5月の連休のことだったとも思う。記憶が定かではないところもあるが、私と同窓で、同期に隣の工場へ入社したT君、T君の同期性のS君とN君の4人で三陸旅行に出かけた旅の話である。貧乏旅行で会社の作業服を着て出かけた。

 初日は岩手県平泉町のS君の実家で泊まった。到着後家のすぐ近くにある毛越寺を訪れた。そのころ毛越寺がどれ程の寺かわかっていなかった。義経700年とかいう看板が出ていた記憶がある。よく手入れされた大きな庭園だった。S君の実家で大変お世話になり、翌朝平泉から花巻経由で釜石に行った。

 当初から無計画の旅が面白いということだったので、釜石からは宮古へ鉄道が走っていたのに歩き始めた。海沿いを歩くうちに釜石港に出た。港の岸壁に行くと男の子が一人で遊んでいた。そこで我々4人が一緒に遊んでやっていた。そこへ男の子の父親がやってきた。いろいろ話している中で、我々が魹ヶ埼灯台へ行きたいのだと話したところ、船で途中の重茂迄送ってくれることになった。重茂がどこか分からなかったが、宮古へ行く途中だと思いお願いすることにした。

 重茂へ着き近くの民家へ立ち寄った。そこのおばさんと話している中で、本州最東端の魹ヶ埼灯台へ行って泊めてもらう予定だと話した。今灯台の人が来ているので話してみたらといわれ、偶然出張で出かけて来ていた方と話をした。旅行案内書に泊めてくれると書いてあった旨話すと、ガイドブックは無責任だ、部屋がないよと言われた。それでも台長に電話で話してくれ、出張に来ていた人の部屋に泊めてくれることになった。徒歩で灯台まで行き周囲を散策したのち泊まった。次の日宮古の旅館で、その台長が、「喜びも悲しみも幾年月」の映画のモデルの方だと聞いて、もっと話を聞いておけば良かったなと思ったものである。
翌日重茂へ戻りバスで宮古へ行った。

 旅館は浄土ヶ浜を目の前にする場所にあった。朝日旅館という名前だったような記憶がある。旅館でも子供を相手に遊んでやったので大変喜ばれ歓待された。翌日浄土ヶ浜を散策した後帰路に着いた。平泉でまたS君の実家に立ち寄り中尊寺を散策して帰路についた。
この旅は、いろんな場面で偶然の好意に助けられ、充実したゴールデンウィークを過ごした気持ちになった。その後S君は退職し金属加工の職人になり早世した。N君は喜寿を目前に訃報を聞いた。

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