「潜行三千里」を読んで

潜行三千里  辻 政信著 発行所:株式会社毎日ワンズ (2019.8.15)

先輩から郷土の先人辻政信の著作「潜行三千里」を借用して読む機会を得た。
私の小学校時代に衆議院議員に立候補し、小学校の講堂で開催された立会演説会に参加されていたこと、その選挙に当選されたこと、参議院議員時代にビルマ方面へ行き行方不明になったことくらいしか知識が無かったので、興味を持って読んでみた。

辻正信

1902年(明治35年)石川県江沼郡東奥谷村(現 加賀市山中温泉)に生まれた。(没年不詳)
苦学して陸軍名古屋幼年学校に入学、陸軍中央幼年学校を経て陸軍士官学校を卒業し、任官後陸大に入学し卒業している。陸大卒業後陸軍参謀になった。
陸軍参謀として、ノモンハン事件、マレー作戦、ポートモレスビー作戦、ガダルカナル島の戦いなどの作戦指導に当たった。作戦の神様との評もある。作戦を強行したとされるノモンハン事件とは、満州国とモンゴル人民共和国の国境線を巡る紛争である。
陸軍での最終階級は大佐である。参謀本部では、個性が強く、上官の命に従わず、何ごとにも強引で、評判は良く無かったようだ。

政治家としては1952年(昭和27年)石川1区から衆議院議員に立候補し当選、衆議院議員4期、参議院議員1期務めている。
歴史小説家司馬遼太郎、半藤一利等は誤った戦争指導をした悪人と評価して居る。本書の前書きを書いた国際政治学者福井雄三氏は、司馬史観は見直されるべきだと主張されている。

潜行三千里

本書は1949年(昭和24年)夏~1950年(昭和25年)1月に奥多摩の西多摩郡古里村字小丹波の隠れ家で書かれたとされている。(ネット情報)
著者が軍人としてビルマのラングーンからタイのバンコクに入った所から始まる。1945年8月15日の天皇陛下のラジオ放送で終戦を知り、潜行して蒋介石の国府軍と日本の対中共共同戦線を画策する工作を申出て了承され、僧侶となって潜行を開始する。これが、戦犯となるのを忌避した者と批判されることになった。この著書には、記憶か日記を参考に書かれたようで、日付はあるが年が書かれていないので、よく分からないところが多い。記憶で書かれたものだとしたらすごい記憶力と言わなければならない。

その後(1945年?)ビエンチャンからメコン川を舟で渡り安南(ベトナム)にわたる。国府軍関係者の協力を得て小舟でハノイに入る。僧侶、医者など変装し、青木他の偽名で潜行して居る。

陸大や国府軍の上層部に日本へ留学していた知人がおり、その伝手で(1946年?)飛行機で中国の昆明に入った。その後重慶、漢口、南京と渡り国府軍に助言したりして生活するが、蒋介石の理想とする国家にはほど遠い賄賂と怠惰で腐敗した現実に絶望し、日中工作を止めて上海経由で帰国した(1948年)。

本書の大部分は、著者が体験した国民党支配下の中国国内の政治の腐敗の事例を書き綴った物であった。
巻末には、「我等は何故負けたか」とのタイトルで、家族宛の遺書が掲載されている。
自己弁護の点はあるにしても、戦後言われているような問題点を指摘している。


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