シルクロード

シルクロードの旅

平成199月、10日間の日程で西安からカシュガルに至るシルクロードの旅を経験した。

西安、敦煌等、井上靖の小説舞台であり、三国志の英雄が活躍した地だと思うと想像が膨らむ故地である。

行程 H19.9.49.13 (阪急交通社)

9/4  成田→上海→西安 
9/5  西安滞在 華清池、兵馬俑博物館、ショッピング、陜西省博物館、宮廷舞踏 
9/6  西安大雁塔、碑林博物館、阿倍仲麻呂碑(興慶宮公園)、→(飛行機)敦煌 
9/7  敦煌 莫高窟、敦煌博物館、敦煌古城、鳴砂山、月牙泉→(飛行機)ウルムチ着 
 9/8 ウルムチ ウイグル自治区博物館(楼蘭野美女)→(バス)トルファン着
トルファン 蘇公塔、カレーズ、交河故城、ウイグル族民族舞踊
 
9/9  火焔山、ベゼクリム千仏洞、アスターナ古墳、高昌故城、→(バス)ウルムチ着 
 9/10 ウルムチ→(バス)カシュガル着エイティガール清真寺、ホージャ墳、職人街 
 9/11 カラクリ湖(バス)(休息:ホテル滞在) 
 9/12 カシュガル→(バス)ウルムチ→(飛行機)ウルムチ経由北京 
9/13  北京 天安門広場、紫禁城→成田 

西安


9
41820分西安空港に到着。バスで西安城内の鼓楼の近くの餃子専門店で夕食をとった。餃子とひとまとめに言っても、その種類は多く、これも餃子かと思う珍しいものもあった。(写真)

西安は秦、漢、隋等の時代の都であり、シルクロードの東の起点である。



華清池
玄宗皇帝が楊貴妃の冬の宮殿として建てた華清宮の池で今は公園になっている。(写真左)

楊貴妃が使用したといわれる浴槽等いくつもの建物がある。見学通路は床となっているが、当時の浴槽は広い土間の中に掘りこまれ、周囲を石組されていただけだったであろう。(写真右)


兵馬俑坑

世界遺産である。
始皇帝の陵墓守備のために副葬坑として作られたものである。

1号坑には実物大の武士と馬の陶俑6000余体有り、想像を絶する光景である。3号坑まで有り、戦車も見つかっている。偶然畑で発見された由、発見者が売店でパンフレットのサインをして販売していた。


大雁塔

玄奘三蔵が運んできた経典を収納した書庫である。
内部を見学することができた。

唐の面影を残す七重の四角形の建造物である。
公園の広場には玄奘三蔵の像が大雁塔に向かって立っている。




(写真左玄奘三蔵像、上
大雁塔)





碑林博物館

石碑が林立し、昔、科挙の試験を目指す若者が勉学に励んだ場所。

拓本が観光客の前で作られていた。
高校の教科書で覚えた漢詩を見つけると、何か懐かしい気持ちになる。





興慶宮公園
:安倍仲麻呂の碑が建っている。

公園内の売店では、仲麻呂に心酔する老人が解説していた。


鼓楼
直径
3m以上もある大太鼓が据え付けられており、博物館になっている。鼓楼の付近には、昔の街をほうふつさせる商店街が有った。夕刻、街の片隅に老人たちが集まり、持ち寄った胡弓などで演奏していた。
夜、北京の京劇に対抗する宮廷踊りを観劇した。古来の中国の衣装が華やかさを演出していた。


 (写真上段左から大鼓楼、同夜景、下段左から旧市街の街並み(2枚)、町の演奏風景、宮廷踊り)

西安の城壁

古代の城壁で旧市街を囲む。

現存するものは明の時代に建造されたものとのこと。城壁の上は、8m位の広い通路となっており、四隅には角楼、辺の中央には、城門がある。西門がシルクロードの起点とのことだったので、城壁の上の絨毯商店内からシルクロードの起点を見た。まっすぐ西に延びる道路は、もちろん今は、完全に舗装された大通りである。


敦煌

敦煌では、莫高窟、古城、を観光した。


莫高窟
敦煌と言えばだれもが思い浮かべるのが世界遺産の莫高窟だろう。

現在492の石窟が有るとのことである。インドから伝わった仏教が根付き発展したもので、彩色壁画や、仏像が見られる。石窟に塗り込められた敦煌文書の話は、有名である。石窟群への入り口の広々とした河原も印象的である。










古城
砂漠の中にかつて映画撮影のため作られたセットで観光用に残されているところである。

漢族の街や、ウイグル人の街等精巧に再現されていた。スケールの大きいセットである。




鳴砂山
月牙泉と言うオアシスをかこむ砂山が鳴砂山である。

強風が吹く中で砂が残っているのは、地形の関係で砂が舞戻るためとのこと。ここで、ラクダに乗る体験をした。ラクダが立ち上がる時の衝撃は体験しないとわからないものだ。鳴砂山に登り月牙泉を望むと箱庭の様に見える。鳴砂山から橇で滑り下りるのも又楽しい経験であった。我々のパーティに密着して少年がビデオ撮影をしていた。帰りに観光地お定まりの買ってくれ攻勢に遭った。
(写真左
鳴砂山、右月牙泉)

ウルムチ

新疆ウイグル自治区の都である。ウルムチでは北京標準時間から2時間ずらしたウルムチ時間が実用されている。

新疆ウイグル自治区博物館:楼蘭の美女のミイラが有名である。

中国奥地の少数民族の風俗の展示があったが、我々には違いが分からなかった。

ここで、学芸員のように説明してくれる女性に進められて、土人形を買った。どうもお土産用の模造品の様である。

トルファン

ウルムチからトルファンへは、バスで移動したが、約200kmの旅にも関わらず途中トイレ休憩が1か所で、エコノミー症候群になりそうであった。途中約600基の風力発電機群や、天山山脈が垣間見られた。
砂漠の中に、三峡ダムの建設で土地を収用された人の代替地として作られた住宅団地が有った。大きな住宅団地であるが、今はだれも住んでいないとのことだった。市街地まで
100km以上の砂漠の中ではさもありなんと思われる。

カレーズ:砂漠の中のオアシス地下に、地下水を利用した用水路が作られている。

地上ではブドウや他の果物が作られ豊かな実りが有る。

交河古城大河の分岐地点に作られた古城(街)跡である。


入口には色とりどりの民族衣装などを売る売店が並んでいた。






火焔山
孫悟空が金団雲に乗って現れたところと聞くと何か心ひかれるところである。

樹木は一本もない赤土の裸山で、浸食された山肌が強烈な印象が残っている。






ベゼクリク千仏洞
:かすかに仏教壁画が残っている石窟である。

ほとんど破壊された後であった。

アスターナ古墳:古代の古墳群が地下に埋まっているところである。

砂漠地帯で年に数mmしか雨が降らない所であるが、我々が訪れた時、パラパラと雨が降り珍しがられた。雨は、落ちてくる途中で蒸発してしまうとのことであった。


高昌古城無舗装の道を馬車に揺られて見学に行った。(写真左)

砂漠の中に遺跡が有り、民族衣装の女性が脚と一緒に写真を撮らせるモデルのアルバイトをしていた。(写真右)




カシュガル

ウルムチからトルファンへの往復バスの影響か、右足が動かなくなった。ホテルについてもしびれがひどく、歩くこともままならない状況になってしまった。ホテルのバイキング職も仲間に取ってきてもらった。

エイティガール清真寺、ホージャ墳:イスラム教寺院と墓である。

足がしびれて歩くことができず、外からの見学となった。

職人街:ここは何としても見ておきたいと思っていたので、休み休みついて行った。

さすが、いろいろな手作り品の店が有る。楽器店で、弦楽器の小さなモデルを購入した。

病院へ:ガイド(大学教授?)の弟が院長をしているという病院へ連れて行ってもらった。腰と棟をベルトで縛り、腰を引っ張る治療をしてもらった。この時、旅行に参加されていた大分病院の医師の先生に同行して頂いたので、先方の扱いも慎重にされたようである。只、足を延ばすこともできない痛みが有ったので、それ以上の処置ができず、痛み止めの飲み薬を1瓶もらって帰った。ウイグル人貧困層のための病院とのことで、無料であった。

翌日のカラクリ湖観光は、ホテル待機とした。

北京

天安門広場と紫禁城を見学した。足の痛みはひかず、車いすで移動した。

 

帰国後、整形外科病院を2か所訪れて診察してもらったが、椎間板が少し出て神経を圧迫しているようだとの診断であった。その後、カイロプラクティック&オステオパシーを標榜する整骨院へ通ったところ、坐骨神経痛との診断で有った。約3カ月通いやめた。時間経過により痛みは無くなった。

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