2013年9月26日(木)から29日(日)の韓国旅行について記憶を辿ってみた。
私が勤めていた団体と姉妹提携していた韓国の金泉・亀尾(キムチョン・グミ)被害者支援センターが設立10周年を迎え、記念式典に際し当方の理事長のT教授が記念講演をするので併せて意見交換会をすることと、我々のセンターの15周年記念式典に参列して戴いた御礼も兼ねてT先生以下6名で出かけた旅だった。メンバーはT先生が韓国語を話せるが、他は誰も韓国語は話せない人達だった。皆で揃って行動するときはT先生が通訳してくれるが、それ以外は各人任せの旅だった。
9月26日(木):釜山~亀尾プチ冒険旅行
当日成田空港集合としていたがチェックイン時刻になっても全員揃わないので、団長であるT先生に相談したく、どこにいるのか電話したところ、すでにチェックインしているとのこと。それではと私もチェックインした。出発ロビーの待合室に行ったがメンバーが揃わない。その時、同行メンバーから20代女性のKさんが旧いパスポートを持ってきたのでチェックインできない状況だと言う電話が来た。T先生に話したところ、やむを得ないからKさんの参加は諦めようと言うことになり連絡した。どうやら成田空港の入り口で、バス内でパスポートのチェックをされた時にわかり、今、常陸太田市の家からお母さんと妹さんがパスポートを持って成田に向かっているとのこと、当人はJTBと連絡を取りどうやら1~2時間余り後の釜山航空のLCC便に乗れることになったとのことがわかり、T先生に同行する了解を得た。
釜山空港の到着ロビーには亀尾市の職員が公用バスで迎えに来ていた。Kさんについては亀尾市の職員が空港で待っていて会場へ同行すると言うことになりバスに乗って出発した。出発して間もなく空港を出ないうちに、式典会場からその職員が来なくては始められないから直ぐにくる様にとの電話が入った。「後から来て貰えば良い」「若い娘を1人残して行くことはできない」などのやりとりの後、私が空港に残りKさんを待つことになった。
そこで、空港から会場のホテルまでの経路をメモしてくれるように頼み、韓国の人にホテルまでの経路を韓国語で書いたメモを貰った。これが後に大いに役に立った。
空港内のスターバックスでコーヒーを飲みながら、到着便を待った。飛行機は無事到着した様だがなかなか到着ロビーに姿を見せないので、電話をしたところ手続きがなかなか進まないと言う。ようやく会うことが出来、早速タクシーを拾った。
駅まで行ってくれと日本語で話したところ「駅」という言葉でなんとか通じた。ところが、釜山駅ではなく最寄りの駅に下ろされた。すでに夕闇が迫ってきていた。後で考えるとそこは無人駅の出口で改札口がなく、聞く人もいなかったが、列車の案内の様な看板が立っていた。そこに「SEOUL」の文字を見つけたのでそれに乗れば良いだろうと陸橋に上がったが、さてどのホームに降りれば良いかわからない。近くを歩いていた人にメモを見せてどのホームに降りれば良いか尋ね、ようやくホームがわかった。暫く待って電車が来た。ホームで駅員が切符を見せろと言っているようだが、切符を買っておらず、改札口を通っていない。切符がないので駅員にメモを見せた。発車時刻が迫ってきたので、駅員が車掌を呼んで電車の中で手続きをするように話し、何はともあれ電車に乗れと手振りで指示された。
幸い在来線特急電車だった。電車の中で車掌に先刻書いて貰ったメモを見せたところ、直ぐに行き先がわかり指定券を発行してくれた。切符の韓国語は読めないが、到着時刻が印字されていたのでその時刻を頼りに乗っていることにした。各駅の駅名表示には「朝鮮戦争」の小説に出てきた「三浪津」等日本語の駅名が併記されていた。大邱を通過した頃から本当に時刻通りに走っているのか心配になってきた。Kさんに直ぐに降りられるよう準備して窓の外の駅名「亀尾」を見ている様に話し、2人で車内放送と駅名の看板を見ることに集中した。
ほぼ定刻に亀尾に到着した。そこからタクシーに乗りくだんのメモを見せた所直ぐに了解して車を走らせ無事ホテルに到着した。ホテルでは式典が終わったところで、式場から出てくる人の中に同行者を見つけて一安心した。韓国の担当者は一安心し、ホテルのレストランで松茸の夕食をごちそうしてくれた。Kさん1人で後から来させなくて良かったと思った。
9月27日(金):海印寺、新幹線
朝、亀尾市の職員の方が公用バスで迎えに来てくれた。そのバスで亀尾市内の検察庁の中にある、支援センターに案内された。日本では被害者支援は警察の仕事で我々は警察が管轄する外部団体という位置付けだが、韓国では検察組織の範疇に入っているとのことだった。見学と意見交換を済ませ出張の目的を果たした。
再び50人乗りの公用バスで世界遺産の「海印寺(ヘインサ)」へ案内してくれた。この寺は韓国の3大寺刹と言われる山奥に有る古刹だった。この寺で最も有名なのは、ユネスコの世界記録遺産に登録されている「八万大蔵経板」で、8万枚を超える経板が整然と掲示されていた。経板の他は日本の寺院と余り変わらない印象だった。この寺に偶然テレビ局のクルーが来ておりT先生がインタビューを受けられた。
その後、韓国のセンターの方に案内され前の朴大統領(父)の生家跡を尋ねた。貧しい家に生まれたこと、稗、粟の様な粗食で育って大統領になったことなどの説明を受け、当時の食料を試食させて貰った。そこは公園になっており、金色に塗装された朴大統領の銅像が建てられていた。
その後金泉(キムチョン)駅に行き新幹線で釜山に向かった。釜山駅はさすがに大きいところだったが、出口に改札はなく電車を降りたらそのまま町へ出て行くことになる。昨日駅で改札を通らないままホームへ出たのは韓国の鉄道の仕組みだったと分かった。
その晩は、釜山市内のホテルに泊まった。
夜はT教授の大学に奥様が留学していると言う韓国の大学教授が大きな食堂へ案内してくれた。そこでマッコリ酒を初めて飲んだ、旨い酒だった。
9月28日(土):釜山市内散策、機張市場
朝、釜山港の近くのロッテデパートの脇を通って大きな橋を渡り対岸へ行って街中を散策した。どうやら旧市街のようで日本の港町にある様な船員相手の飲み屋が並んでいた。朝であり人影も見かけなかったが、迷い込むのも危険と思い表通りを散策した後ホテルに帰り裏山へ登った。ホテルの裏山は公園になっており、釜山タワーや古い時代の名残のような建物があった。
昼食は大学教授が車で20km位離れた機張市場(キジャンシジャン)に招待してくれ活魚料理をいただいた。途中、嘗てサミットが行われた会議場や海岸の岩場に建つ寺院「海東竜宮寺」(へドンヨングンサ)を見物した。この寺院は派手な塗装が施され、日本では見かけることが無いような寺院だった。
夕方、孫に土産でも買ってやろうと思い、ロッテデパートへ行ってみたが、全く言葉が分からず、売り場も探せずギブアップし早々に退散して、国際市場へ向かい出店の並ぶ賑やかな通りを散策した。出店で孫への土産にポケモンの帽子を買った。
地下鉄沿いの地下街に入り散策する途中喫茶店があったので入り、珈琲を注文した。なかなか出てこないので、どうしたのかなと思っているところへようやく出てきたのを見るとコーヒーの上にミルクで絵が描いてあった。コーヒーアートとか言う様で、テレビなどでは見たことがあるが、体験したのは初めてで感動した。
9月29日(日):釜山市内散策、地下鉄
朝食を摂ろうと町へ出た。名物のお粥屋が何軒もあった。或るところで日本人のお客が行列を作っている店があった。聞いたところガイドブックに掲載されている店だと言う。値段は他の店の2倍くらいだった。何時になるか分からない行列に並ぶ気にはなれなかったので、目についた処へ入った。木の丸椅子に座っていると、目の前にお菜が入った小皿が5~6枚並べられたので、これは高いのかなと思ったが、通勤の人が朝食を食べに入る様な店で高くはなかった。薄味でおいしかったと記憶している。後で聞きいたところ、食事の前に小皿を出すのは韓国では一般的な習慣の様だった。
集合時間には余裕があったので、地下鉄に乗ってみようと思い、地下道に入り地下鉄の入り口まで行ったが、此処でも言葉が分からず、切符の買い方も判らなかった。困っていると「困っている日本の方、お助けします」と書いた襷を掛けたおばさんが近寄ってきて切符の買い方を教えてくれた。ホームに入ったが、釜山駅はどちらの方向の電車に乗れば良いか分からなかった。1駅か2駅なので、間違えば戻れば良いと腹を決めて乗車した。上手く釜山駅に降りられた。さすがに大きく案内所などもあり、先日、タクシーが此処へ連れて来てくれればもっと楽に亀尾まで行けたかなと思った。帰りは市街の見学をしようと散策しながら徒歩で帰った。
これでは、ガイドブックを片手に外国旅行をすることなど出来そうにない。テレビで言葉が分からないところへ出かけている人を見かけるが、その度胸に感心した旅だった。以前、佐藤優氏の「15の夏」という紀行文を読んだことがあるが、氏が15歳の夏休みに1人でヨーロッパへ旅行し数人の友人を訪ね歩いた時の体験記だった。「センダンは双葉より香ばしい」だなと感心した。