カルチャーショック

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世間知らずの田舎出の若者だった私には、独り身になって初めて味わったカルチャーショックが数々ある。

支那蕎麦
 小学6年生の頃だった、家に風呂があったが何かの都合で兄と、兄の友人の3人で近くの銭湯へ行った時の話である。銭湯は家の横の用水を挟んで2軒目が映画館でその向こうの道路を挟んだ先にあった。風呂から上がると、兄が珍しく「支那蕎麦を食わせてやる」と言って映画館の前の小さな空き地にあった屋台へ連れて行かれた。入口のすぐわきにガスを燃やした照明がついており、異様なにおいがした。兄がなれたように注文し、支那蕎麦が出てきた。一口口に入れた途端、何とも言えない脂ぎったものを口に入れてしまったようだが出すこともできず、気持ちが悪く涙目になってしまったことを思い出す。兄は誰も最初はそんなものだと気にもしてくれなかった。あの頃に比べて、今のラーメンはなんとあっさりした味だと思う。齢を取ってくると油濃いものを避けるようになった。兄も亡くなり懐かしい思い出である。
ブリーフ
私は昭和34年3月に入社し寮生活を始めた。寮は自治寮で委員会が売店を開いてくれていた。その売店へ下着のパンツを買いに行き買おうとして出されたものを見て驚いた。ブリーフである。それまで私は猿股というしたがすっぽんぽんのパンツしか知らなかった。これは女がはくものではないかと、買うかどうか逡巡した思い出がある。口に出せば笑われそうで、そのまま買った。ほろ苦い思い出である。
おにぎり
会社へ入って2年目のことだった。私は変流器の設計に配属され設計にあたっていた。仕事が忙しくなり、毎日残業の日々であったが、ある時指導してくれていた先輩から、間に合わないから「明日は早出をしてくれ、朝飯はおにぎりを持ってきてやる」と言われ、早出をした。早出は6時頃からの仕事だったと思う。仕事の区切りにおにぎりをもらい食べ始めた。口に入れ一口かんだ時びっくりした。私は田舎育ちでmおにぎりと言えば中身は梅干しであると信じていたが、食べたものは梅干しではなかった。半分口に入れたまま洗面所へ走った。恐る恐る口から出してみると、おにぎりの具は鮭であった。先輩にはおいしかった、ありがとうと言ったことはもちろんである。。今ならどこにでも売っているが、梅干ししか知らなかった頃の話である。
トマトジュース
昭和36年の春から私は社内教育機関に入学し、寮に入っていた。同室の5年先輩の人と風呂に入った後、廊下にあった寮の売店まで来ると、先輩がトマトジュースを飲んで行かないかと誘ってくれた。そこでトマトジュースを買って飲んだ。一口飲んだところで、吐き出しそうになった。私はそれまでトマトジュースを飲んだことがなかったのである。気持ちが悪くなり洗面所で吐き出した。その後、気持ちを落ち着け先輩には気づかれないようにゆっくりと飲んだ。「これが飲めないようでは田舎者だと言われるぞ」と思いながら。。