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日立市久慈町の「久慈サンピア日立」の南側のグランドの片隅に「昔流甦大地」(せきりゅうだいちによみがえる)の碑が建てられている。碑文には、此処が嘗て久慈川の流れの中心であった事が書かれ、レリーフに赤色のマークで示されている。レリーフを見て、久慈サンピア日立はかっての川の上に建っている事をあらためて確認出来た。
私が初めて久慈浜を訪れた昭和40年頃、内陸から流れてきた久慈川は、東海村側から伸びる砂州と久慈浜の海岸通りの間を約1.6km北上し太平洋に注いでいた。久慈浜の海岸通りは川に面し、砂州は向こう渚と呼ばれ、釣り客等は渡し船で渡っていた。向こう渚で遊んでいて急に悪天候になり、慌てて木っ端の様に揺れる舟で戻った記憶がある。その頃の花火大会の打ち上げ場所は向こう渚だった。
私が、この石碑を見て惹かれたのは、このレリーフの制作者が「大みか鋳造所」だった事である。大みか鋳造所は、私が低周波誘導炉を設計して居た昭和45~6年頃に溶解量500kgの銅溶解炉を2基納入している。石碑の制作が平成10年~11年であるからすでに40年余り経過していた筈だが、誘導炉を使用されたかも知れないと考えると懐かしくなってくる。社長は美術品の鋳造も制作していたので、レリーフも出来たのだなと思って見ていた。蛇足ながら、兄が家を新築したとき、私が大みか鋳造所の社長にお願いして表札を作って戴いた縁もある。