本「すばらしい人体」(4)
「すばらしい人体~あなたの体をめぐる知的冒険~」

山本 健人著 ダイヤモンド社刊

第3章「大発見の医学史」の続き

顕微鏡でも見えない病原体

細菌とウイルスは全く異なる:コッホが病原菌を発見して以来瘴気説は滅び、感染症は微生物が体内で増殖し引き起こした病気である事が常識になった。だが、顕微鏡を使っても見えない微生物の存在が明らかになった。ウイルスである。ウイルスは細菌の100分の1と小さく光学顕微鏡では見えない。電子顕微鏡が発明されたのは1931年の事である。

細菌は環境が整えば細胞分裂により自分で増殖する。一方ウイルスは自力で生きることが出来ない。ウイルスはDNARNAとそれを包むタンパク質で出来ており、自らを複製する力を持たない。

ウイルスの増え方:ウイルスは他の生物の細胞に自己のDNARNAを送り込み、その複製システムを乗っ取ることで増えていく。ウイルスが感染した細胞はウイルスを量産してしまい、細胞内で増えたウイルスはじきに細胞を破壊してと外に飛び出す。そして次々と他の細胞に感染し、それを破壊しながら増殖していくのである。当然ながら抗生物質はウイルスには全く効果がない。

細菌より小さな微生物の存在が初めて知られたのは1890年のことで、ウイルスの存在が明らかにされたのは1935年の事である。これによりアメリカのウエンデル・メレディス・スタンレーはノーベル賞を受賞した。

感染症とワクチンウイルスを死滅させられる抗ウイルス薬は少ない。多くは増殖を抑え、症状を軽くする作用を持つものだ。一方感染症に対する最大の予防手段はワクチンである。

B型肝炎ウイルスとノーベル賞:ワクチンはそれを打つことによって、ひとたび感染すれば命を落としたり重篤な後遺症が生じたりするような病気を高い確率で予防出来る。

B型肝炎ウイルスとヒトパピローマウイルスは、人に癌を引き起こすウイルスである。よってそのワクチンは「癌を予防出来る」という特別な性質を持つ。

B型肝炎ウイルスはB型肝炎から肝臓癌を引き起こし、ヒトパピローマウイルスは子宮頸がんを含む様々な癌を引き起こすウイルスである。これら以外の多くの癌はその原因が単一ではないため薬で予防することは出来ない。B型肝炎ウイルスとヒトパピローマウイルスの発見者はノーベル賞を受賞した。

奇跡の技術ワクチンは細菌やウイルスの存在が明らかになる前に実用化されていた。18世紀世界中で天然痘が大流行した。紀元前から有った病気だが予防法や治療法もなかった。経験上知られていたのは「もし天然痘から回復出来たなら、その人は2度と天然痘には罹らない」という事実である。この経験から患者の皮疹から膿を抜き取り、これを健常者の皮膚の傷から体内に入れ、抵抗力を付ける「人痘種」と呼ばれる予防法が十世紀頃から行われていたが不安定であった。一方イギリスの農村では、牛痘という牛の病気に罹った人は天然痘に罹らないと言う言い伝えがあった。エドワードジェンナーはこの現象に注目し23人に接種し研究結果を発表した。これが世界初のワクチンとなった。

 免疫が破壊される病気

或る奇妙な報告1981年医学誌ランドサットに20代~40代の男性患者がカボジ肉腫という希な病気を発症し急速に進行し短期間で命を奪われた症例が報告された。更に全員が男性同性愛者で性感染症の経験があった。その後アメリカでは似た症例が次々と現れた。共通していたのは、いずれも免疫機能が破壊されていたことだ。

後にこの症候群はエイズと名付けられた。1983年フランスのリュック・モンターニエとフランソワーズ・バレ・シモンは原因となるウイルスを発見し「ヒト免疫不全ウイルス(HIV)」と名付けられた。HIVは免疫を担うリンパ球の一つヘルパーT細胞に侵入し自己を大量に複製させてT細胞を破壊する。ウイルスは次々にT細胞に侵入、破壊を繰り返し、T細胞を減少していく。

ウイルスは数年から十数年の期間をかけ、真綿で首を絞めるように宿主の免疫システムを破壊していき、結果として弱毒なウイルスが重篤な感染症を引き起こし、宿主を死に至らせる。これを「日和見感染症」という。

不治の病が治る病気に2020年のノーベル賞はC型肝炎ウイルスを発見した3名に与えられた。C型肝炎ウイルスは輸血などを介して感染し、肝臓に慢性的な炎症を起こす。肝細胞の破壊、再生を繰り返し肝硬変、肝臓癌が発生する。肝臓を構成する細胞ががん化して出来る癌を「原発性肝癌」と総称する(他の臓器から転移したものが転移性肝癌)。原発性肝癌の90%は肝細胞癌、他は肝内胆管癌である。

肝細胞癌の原因の7割から9割はB型肝炎かC型肝炎である。その7割はC型肝炎である。肝炎の最大の原因はウイルスである。C型肝炎にはワクチンがない。しかし近年は直接作用型抗ウイルス薬と呼ばれる画期的な治療薬が生まれ、95%以上の治癒が目指せるようになった。

 日本で生まれた全身麻酔

誰も想像出来なかった:華岡青洲は世界で初めて全身麻酔を行った医師である。1804年青洲は麻酔薬の通仏散を発明し、全身麻酔によって乳がんの摘出に成功する。青洲の人体実験は自身の妻と母にも行われた。青洲はその後100人以上の乳がん患者に全身麻酔手術をして実績を上げた。しかし青洲の開発した薬は用量の調節が難しく世界には広がらなかった。

全身麻酔を広めた歯科医たち全身麻酔が広く普及するきっかけを作ったのはアメリカの歯科医達だった。青洲が初めて全身痲酔を行った約40年も後の事だった。

18世紀後半から19世紀にかけて亜酸化水素(笑気)がパーティーやショーなどで使われ、これを吸うと酩酊した様になり、怪我をしても痛みに気付かなった。この様子に着目したレス・ウエルスはこの気体があれば痛みを伴わず歯の治療が出来るのではないかと考えた。ウエルスは自身で効果を試した。ガスを自ら吸い込み意識を失っている間に友人のジョン・リグスに親知らずを抜歯されたが、痛みは全くなかった。その後多くの患者に笑気を使い効果を確認し、公開実験を行ったが失敗した。

ウエルズの助手を務めたウイリアム・モートンは自分の患者に笑気ではなくエーテルを使い効果を確認し公開実験に成功した。

その後気体の改良、濃度調整器の製作で痲酔の安全性を高めたのがジョン・スノウである。

 糖尿病は恐ろしい

失明原因の第31921年医学の歴史を変える重大な事件があった。血糖値を下げる「インスリン」の発見である。インスリンは膵臓で作られるホルモンだ。私たちの体はわずかな血糖値の変動を察知し、膵臓からホルモンを分泌する事で血糖値を一定に保っている。

糖尿病はインスリンの不足やインスリンに対する体の反応が鈍くなる事が原因で起こる。血液中のブドウ糖の濃度が高くなると、濃度の差によって血管内に水が引き込まれル。それが尿となり、多尿となり多飲になる。過剰なブドウ糖は尿中に排泄されるため尿中のブドウ糖濃度が高くなる。これが糖尿病の名前の由来である。

人間の体には100種類以上のホルモンが有り、血糖値を上げるホルモンは多くあるが血糖値を下げるホルモンはインスリンのみである。

糖尿病にはいくつかのタイプがあるが重要なのは一型糖尿病と二型糖尿病である。糖尿病の9割以上を占め生活習慣病と言われるのは二型だ。二型は遺伝的な要因と過食や肥満、運動不足等によりインスリン抵抗性と分泌低下が共に起こる慢性疾患だ。高血糖にさらされて起きる障害の代表的なものは、神経、目、腎臓である。末梢神経が障害され、痺れたり、感覚が鈍ったりする。また毛細血管が蝕まれ、糖尿病網膜症となり失明する。腎臓の血管が痛む事によって起こる糖尿病腎障害では最終的に透析が必要になる。

高血糖は免疫の機能を低下させるため、足の小さな傷が気付かないうちに酷い感染症を起し、細い血管の血流が悪いことも相まって足壊疽に至る。

一型の問題は、膵臓からインスリンが殆ど分泌されなくなる事だ。注射でインスリンを体外から補わなければ生きることは出来ない。

奇跡のインスリン発見:糖尿病の歴史は古く、古代エジプトやヒポクラテスの時代から書かれている。だが、インスリンのみならず膵臓が糖尿病に関わる事すら19世紀後半まで知られていなかった。

1889年ドイツのオスカー・ミンコフスキーは膵臓を切り取られた犬が糖尿病を発する事に気づいた。膵臓に血糖値を調整する機能が備わっていると言う事はこの時初めて知られた。

1920年カナダのフレデリック・パンティングは膵臓からホルモンを取り出すことを思いついた。トロント大学のマクラウドに実験設備を借り、犬の膵臓からホルモンを分離する事に成功した。

1922年に一型の少年にインスリンが投与され症状を劇的に改善させた。その後製薬会社との連携によりインスリンの大量生産が可能となり、世界中の糖尿病患者を救えるようになった。パンティングとマクラウドはノーベル賞を受賞した。

遺伝子工学の成果インスリンは豚から作られていたが、大量を長期的にまかなうのは不可能だった。一人の患者が1年で70頭の豚を必要としたのだ。1970年代以降遺伝子組み換え技術の進歩により大量のインスリン生産が可能になった。

 ギネスブックに載った「痛み止め」

痛み止めの歴史古代ギリシャ・ローマの時代から柳の皮が痛み止めに有効だとして痛み止めに使われていた。1800年代に柳の有効成分「サリチル酸」が抽出されたが、胃の不快感等の副作用が強かった。

1897年ドイツのホフマンがサリチル酸をアセチル化する事で、胃への副作用を軽減出来る事を発見した。1899年ドイツのバイエル社は「アセチルサリチル酸」の錠剤を作り「アスピリン」という商品名で発売した。1950年代には世界で最も売れた鎮痛剤としてギネスブックに登録された。

痛みの収まる理由はイギリスのジョン・ロバート・ウェインによって解明された。1982年ウエインはノーベル賞を受賞した。

アスピリンで痛みが止まる理由:アスピリンの主な作用は、プロスタグランジンを生産する酵素、シクロオキシナーゼを阻害する事である。プロスタグランジンとは、炎症を促す物質の総称だ。

傷口が酷く膿むと白血球が集まり細菌と戦う。毛細血管が拡張して血液が集まるため赤く腫れて熱を持つ。白血球と共に血管内の液体が血管の壁を透過して浸出液になり、白血球の死骸と混ざり膿になる。ブラジンと呼ばれる痛みを引き起こす物質が生産され痛む。これが炎症である。

プロスタグランジンは、このプロセスを促進させ、体温中枢に働きかけ体温を上昇させる。

アスピリンは、プロスタグランジンの産出を抑えるので、コレラのプロセスが阻害され、痛みは軽くなり熱が下がる。
アスピリンは、その優れた機能により、医学の歴史を変えた。商品名が今や一般名として使用されるようになっている。


第4章 あなたの知らない健康の常識
第5章 教養としての現代医療



TOPへ