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「天を測る」 今野敏著 講談社発行
江戸時代の天才的な実務家「小野友五郎」の生涯の事績を小説化したものである。
「世の中は、全て単純な数式で表せる」「何事も足し算で考えるべきだ」を信念として、切り捨てず生かしてゆくことを実践し、与えられた仕事に全力を傾注し、実績を積むことで世の中に必要とされてゆく生き方が示されている。図書館休館中、茨城県に関連する書との書き込みに惹かれ久しぶりに新刊書を読んだ。
笠間藩牧野家の下級武士であったが、見い出されて長崎海軍伝習所の1期生となり、測量の技術を習得し、その技量を買われて咸臨丸の乗組員に登用され、太平洋横断の航海において天測で船の位置を正確に確定し航海を無事成功させ、その功績を認められ徳川家の旗本に抜擢された。
咸臨丸で渡米した折には、造船技術をつぶさに見分し、国産の軍艦製造に着目、尽力しそれを果たした。開国を迫られる時代に、いち早く江戸の海防計画を立案、お台場の建設、江戸湾の防衛策の立案実行にかかわり成功させている。
軍艦建造の提案を実現するために正確な縮尺模型を作ることにより公儀の上司を納得させ実現した。
横須賀には、製鉄所付きの造船所を建設し純国産の軍艦を完成させている。日本の近代化の影の立役者の一人であろう。
幕末の水戸藩は過激な所と思っていたが、笠間藩にこのような傑物がいたことを初めて知った。
本書の中では、勝海舟は口舌の徒、福沢諭吉は自己中心の人として描かれている。江戸の無血開城は実際には山岡鉄舟が西郷隆盛との話し合いに成功したと言うことは山岡鉄舟を主人公とした小説で読んだことがあり、世の中に無血開城は勝海舟の交渉成果と知られていることが間違いだということがこの作家も言っていることで納得できた。福沢諭吉については高邁な人格者と思っていたが、えらく人間くさいいい加減なところのある人として描かれていおり、人は見方によって後世の評価は著しく変わるものだと感じた。